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**Under World**

死の淵より蘇りし(略

2月、凍える寒さに。

 
毎年毎年、この鬼のお面をつけて節分には記念撮影をしていたんです。

この頃には、元気でなんともなかったんです。

17日、大事な大事なユウヒが、天国へ行きました。

急変から一週間、亡くなってからはまだ4日。
急すぎて 気持ちの整理もつかないまま 仕事を休んでただただ泣き崩れる日が続きました。
どこかで選択を間違ってたんじゃないか、何かもっと手を打てたんじゃないか、
本人(猫)の気持ちをどこまでわかってあげられてただろうか、
一日ずっとずっと自問自答し続けました。
突然のことだったので、全ての決断を即迫られることが続き、最終的に残ったのは後悔ばかりでした。

ユウヒは私が一人暮らしを始めてすぐ、家の前で拾った子です。
産まれたばかりで、親とはぐれたのか 雨の降っていた日、天に向かって抗議するように鳴いていたのを 可愛くて気の強い赤ちゃんだなあ、と拾ってしまいました。
始めはペット禁止のアパートでしたが、手のかからない子だったので特にトラブルもなく、アパートが老朽化で取り壊しになり、立ち退くタイミングでペット可のマンションへ越しました。
そこからはストレスをかけてしまったのか ぶくぶく太ってしまったのですが、元気そのもので病院にかかることなんてありませんでした。

入院で離ればなれになったのは、去勢で預けた時と、二年前の腎不全、あの時ぐらいです。

ずっと一人にさせることが多かったくせに、
私はまともに留守番出来ずに泣いていました。

13日、一見なんともない(トイレや食事ぶりなど)のですが、ずっと同じところでじーっとしていて、
ここ数日寒いのに布団に入りたがらないことに違和感を感じていました。

14日、私が仕事から帰ると 部屋に吐き散らした形跡がありました。
普段はあまり吐かない子なので、以前のことを一気に思いだし、様子を観察。
トイレを確認すると その日の朝以降、した形跡がない。
ご飯を見るけど、食べたいんだけど、ちょっと食べたくないなーという感じでご飯皿の前で座っていました。
その後も 本人はやはり時々場所を変えてぺたんと座っているんですが、私が違和感を拭いきれず眠れずにいると、明け方にまた嘔吐。

15日の朝、仕事の時間を変えてもらって朝から病院へ連れて行きました。
以前の腎不全際にお世話になった先生に診て頂くと、著しい患部が見当たらず、
膵炎かなあ?とのことで、ひとまず胃薬と吐き気止めの注射をして翌日また来ることに。

帰宅後、暴れてお腹が空いたのか、私の手からカリカリを10粒くらい(突然沢山だとまた吐くかもしれないからと先生に言われていた為)と、自分で数粒を食べた後、満足そうにごろんとしていました。
私も少し安心し、仕事へ。

帰って薬飲ませて、翌日には回復傾向だと信じていました。
なんせ、奇跡の復活を遂げた猫ですから。

夜、帰宅すると 食事もお水も一切口にしようとしませんでした。
息が荒く(1分に60回の呼吸)、以前の時はしんどくても指を舐めてくれようとしていたのに、口をまず開こうとしません。

あと、前足がピンクになっていました。口を見ると、血のすじのようなものがついたよだれを出していて、
手を噛んで出血したのか、口から何か出てきてイライラして手を噛んだのかがわからないまま ただ一緒にいてあげることしか出来ませんでした。
救急へ連れて行くべきか、朝いちで診てもらうまで待つか。

うちの猫は 家から出るとものすごく気性が荒く、我を失ってものすごく暴れるんです。
どれだけしんどくても、そうなってしまうので 見知らぬ病院に連れて行くリスクを不安に思い、朝を待つことにしました。
ずっと マラソンの後のような浅くて速い呼吸。
大きい猫だからって、私から見れば小さな体。
代わってあげたいくらいでした。

ずっと、頑張って、ごめんね、と言いながら朝を待ちました。
何度か、私にぴったりくっついてきたので、苦しくないようにそっと抱きしめました。

16日の朝、
病院で「時間をかけて検査したいので 一時預かりにさせてほしい」と言われたので、お願いすることに。
私は仕事へ行き、再度病院に戻ったところ 腎不全の再発の可能性が出てきたと言われました。
昨日は言われなかったのに。何で!?と思いながら、説明を聞きました。
エコーやレントゲンでは ハッキリとした所見は無いけれど、血液には出てる。
前回とほぼ変わらないくらい 血中の毒素が増えている、と。
一番の問題、前回と違うのは、膀胱に尿が溜まってないということ。
無尿症の可能性、毒を排出出来なければ全身に毒がまわって、もう助かりません。
腎不全の子の最期は、たいていそうなってしまうんです。

輸液をして した量に対して膀胱はほぼ空。
今回は覚悟をしてください、と言われました。
昨日までトイレはしてました。それは間違いありません。
量も減っていたわけでは無いんです。

それがなんで突然?

ここで自宅へ連れ帰るか、入院させるかを選ぶことになりました。
私は、昨晩の苦しそうな顔が忘れられず、それを何もしてあげられないことが耐えられなかったし、
何かあればすぐ対処してもらえる入院を選びました。
やっぱり、このときも前回のことがあったため 必ず助かると信じていました。

そうは言いながら、ユウヒは家から出したことが無い完全室内飼いの子だったので、
不安な夜を過ごさせていることをとても悔やみました。
今でも 正しかったのかがわからないんです。
前日のように、私に苦しくてもくっついていられたほうが嬉しかったのか。
私にしてみれば、苦しさを軽減してあげることが優先だったので、
元気になったらいくらでも甘えさせてあげるつもりだったからこその入院でした。

先生には、助けたいです、出来ること全部やって下さい、と伝え、
ユウヒには、明日迎えに来るね。あともう一日頑張ろうね、と言って 病院を後にしました。
何かあれば病院から連絡をくれるとのことだったので、夜中はしっかりと眠れず うとうととしたまま翌朝になりました。

17日、病院へ行くと、待合室にには既に2組ほど待っていたのですが、最初に診察室に通されました。

まず、数値が下がってない。
膀胱は機能に比べたら多少の尿は出来たが、これは大丈夫と言える範囲では無い。
おそらく、もうほぼ諦めたほうがいい。
と言われました。
全身の血がさーっと引くのがわかりました。
ケージのユウヒは、舌を出して息をするのがやっという感じでした。
なのに、私たちが入ると 立とうとするんです。
ものすごく苦しいのに、家じゃぐったりしてるくせに、なんでそんなに強がるんだろう。
私はそれに縋って、無理させてるのを心の底ではわかってて、そこに賭けてしまった。
頑張れると言い聞かせて、ものすごい無理をさせていました。

怖くて抱きかかえられなかった私を見かねて、先生が診察台へ運んでくれて、
どうするかを聞かれました。
時間の問題で、家まで持つかわからない。
先生自身は、自宅で最期を、という方針だったので 帰宅をすすめられました。
でも 最期を看るのが辛いなら、預かります。とも言われました。
気休めだけれど、酸素チューブを吸わせてあげながら、
ずっとユウヒはすごく頑張ってるね、偉いよ、と声をかけてあげました。

私自身の考えは、もともとの持論が無かったせいもあり、迷いました。
自分だったら?
いくらそばに大切な人がいても、ずっと過ごしていた場所じゃないところより、
家に帰りたいと思うのではないだろうか。
時間はかけていられません。すぐさま帰宅を選びました。

先生の前で、ユウヒが何かを漏らしました。
先生は、ほとんど膿だと言いました。

でも、私たちが前日に「膀胱が空なんだって。ちゃんとお水出せたら帰れるからね」と言ったんです。
出せないはずのものを、量は足りなかったけど、最後に出したんです。
本当に気丈な子なんだな、思いました。

車に乗って、私がユウヒを抱っこして、出発した途端でした。

ガラガラの声で3回くらい大きく鳴いて、後ずさって、
私が「大丈夫だよ!帰るよ!」と言って(順番は逆だったかもしれません。気が動転していたので)、
ユウヒが突然バタッと、タオルに突っ伏して動かなくなりました。

目が開いてるけど、さっきまでの荒い呼吸は?
一瞬、何が起こったのかわからなくなりましたが、少しずつ、あ、これは、と思うようになりました。
病院の目の前だったので、すぐ戻りました。
このまま家に帰っても どうしていいのかわからないし、死亡確認をしてもらうつもりでした。

すると、すぐさま心臓マッサージを始めてくれました。
私の心は諦めていたのに、先生たちは当たり前のように息を吹き返すように全力を尽くしてくれたんです。

意識や呼吸は停まっててたのに、心臓はしばらく動いていました。
これ以上は、と全員が感じたところで 体をキレイにするから待ってて下さい、と待合室へ通されました。

一連の流れを診ていた待合室の方たちが、泣いてくれました。
そのお蔭で、私は車に戻るまでは、泣かずに堪えられました。

ユウヒは大きな棺に入れられ、まるで寝てるように横になっていました。
先生やスタッフの方も泣いてくれて、本当にここの病院にユウヒを託して良かったと思いました。

車から家まで、まだ温かさの残る棺を抱えて何度も何度も泣きました。
家では、泣き喚きました。叫びました。
理不尽過ぎて。不条理過ぎて。
全てが許せなくて、自分が憎くて、何度もおかしい、返して、元に戻してと泣きました。

泣いて泣いて、ものすごい頭痛と吐き気とめまいに襲われて、
冷えていくユウヒに縋っては嗚咽を漏らし、起きていられなくなって 頭痛薬を飲んで横になりました。
起きて、冷たくなっているユウヒを見て、触って、悲鳴のような声をあげて泣きました。

ひとしきり泣いて、このへんから既におかしくなっていました。

少し我に返るような瞬間があって、その間に火葬の手続きなどをとりました。
ペットは火葬車が多かったのですが、味気ないというか、気持ちの問題で きちんと火葬場のあるところへお願いしました。

翌日のお昼。
電話をしたのが夕方だったので、翌日のその時間には ここには形のあるユウヒはいなくなる、と思ったら 物凄い恐怖感と喪失感が襲ってきました。
いなきゃおかしい、当然のようにあったものが無くなる怖さ。

夜も 寝ている場合じゃない、ずっとそばにいてあげないと、と思っては泣き、
先生には「動かすと 体液が出てきてしまうから、箱からは出さないであげて」と言われていたので、棺の箱を空けてはさめざめ泣くことしか出来ませんでした。

朝、疲れ切って眠ってしまったらしく 起き抜けに寝ぼけてユウヒを探しました。
寒いと、無理やり布団に毎朝体をねじ込んできていたんです。
おかしいな、今日寒い気がするんだけどな、と思って、布団を覗いてもユウヒがいない。
だんだん頭が起きてきて、現実を思い出して、また泣きました。

18日。
この日は朝までバタバタしていて、私もストレスでお腹を壊してしまって慌ただしい一日でした。
火葬の時間までに彼にお花を買ってきてもらい、
どれだけ大事だったかを書いたお手紙と、
生前は嫌がってつけたがらなかったので着けていませんでしたが、飼い猫だった証として、毛糸で首輪を編んでつけてあげました。
あとは、沢山のご飯、大好きだった海苔と、ヘアブラシと、またたび。
少しだけお守りに毛をもらって、代わりに私たちの髪も少し切って、束ねて持たせました。

病院では通院用に使ってたタオルで包んでくれたのですが、このタオルは多分嫌いだと思ったので 私の部屋着をお布団代わりにかけてあげました。

隙さえあれば出てくる涙。
私もユウヒ同様、人前で弱いのを見せたり泣くのがイヤな人間なので、家で散々泣きました。
火葬場では、彼は最後のお別れで涙ぐんでいましたが、私は自分に腹が立つほど普通にしていました。
沢山のお花を敷き詰めて上げて、大きな体を撫でました。
最後に言ったのはありがとうだったのか、ごめんねだったのかは思い出せません。

1時間ほどして、9キロあった体は掌に収まるくらいの骨壺になって戻ってきました。
それを見たら、自分の中でも少し気持ちに区切りがついたのがわかりました。

家に連れ帰れなったことが心残りだったので、しばらくは骨壺とは家で一緒に過ごすつもりです。

最初の腎不全では私が完全に飲まず食わず続きでしたが、
今回も似たようなもので 一日何かしらを口にしたような気がする…程度の食事量でした。
お腹は鳴るし、空いてるけどどうでもいいや、という感じです。

ただ、この日の晩はユウヒの好きだったものを精進落としとして食べました。
ユウヒが好きだったカニやクリーム、アイス。
こんな日がこんな早く来るんだったら、腎臓のことを考えないで あげていれば良かったです。

食欲が落ちたことはありませんでした。
むしろ、腎臓食はあまり食べない子の為にカロリーが高めなので、バクバクと食べるユウヒには食べ過ぎていた感があるくらい。
健常食に変えてもいいんじゃないか、と何度思ったかわかりません。

19日、少し気持ちがすっきりしているのがわかりました。
これから一人の時間が出来ることを思うと やはりメソメソしてしまうのですが、ここ数日のような号泣は無くなりました。

骨壺に話しかけ、抱きしめ、日向ぼっこをさせるという 傍目からは完全に奇行。
おかしなことと言えば、そのくらいです。

この日は写真も飾ろう、と写真立てを買うために出かけたところ、家に病院から届け物があると電話がきていたのでトンボ返りして確認したところ、立派な籠花でした。

そのまま病院へお菓子を持ってお礼を言いに行きましたが、変なテンションのまま私が骨壺を見せに行ったり 目の前で抱きしめたりしてたので、先生たちは却って不安なってしまったかもしれません(笑)。

夜は、なんとなく気晴らしをしたくて 呑みに行きました。
もともとお酒が弱いので、ちょっとだけ飲んで、気持ちよい気分で帰宅。

20日、
いまいち眠りが浅く 朝起きて、普段通りの生活をしないとと思い、
痛み始めた林檎を煮て林檎とメープルの ケーキを焼きました。

ほったらかしていた洗い物を片づけ、作品の発送準備をしたり。

それでも心がぼんやりというか、空しい感じは誤魔化せません。

明日からは仕事に戻らなければならなかったので あまり出歩く気分にもなれず 家でだらだらと過ごしました。

この日は、一度も泣きませんでした。


ものすごく濃密な5日間で、
1日1日がすごく時間の流れが遅かったです。
忘れたりしたくないし、でも思い出すのもつらい。
今はそういう心境です。

突然のこと過ぎました。
今だと、先週は元気だったのに、と思ってしまいます。
これが先月は、去年は、と変わっていくのでしょうが、ユウヒに代わりはいません。
14年、一緒に暮らしてきた穴を埋められるものは何もありません。
私が気に病んでいること、選んだ選択肢は正しかったのか、
それを唯一許せるのはユウヒだけで、
みんなが「してあげたことは間違って無かったよ」と言ってくれても、
私の中ではダメなんです。
ユウヒがそれを言ってくれないと。私の中では終わらないんです。
不可能なことですが。

私の家庭環境は少し複雑なので、正直なところ、おそらく家族よりユウヒと過ごした時間のほうが長いです。

どんな時も絶対に傍にいてくれたので、私のことを理解してくれているのはまずユウヒ。
私の、娘で、お姉さんで、お母さんで、おばあちゃんでした。
それをいっぺんに奪われた気持ちです。

つらいです。
すごくつらいです。

だけど、病院で、
最初の腎不全の時の復活した話、病院でも伝説になってるんですよ。
それを聞いて、治療を頑張っている子と飼い主さんもいるんですよ。
って聞いたんです。

ユウヒが他の子の希望の光になっているのを知って、
誇りに思います。

今回のデータはもう見るのが辛いので破棄してしまいましたが、
もし 腎不全の猫さんの飼い主さんで お悩みなどがあれば twitterのDMなど頂ければ、私でわかる範囲のこと お答えします。
メールフォームもつけてみました。

どのくらいかかったとか、どういう対処療法だったかとか、覚えてる限りになってしまいますが。
あと、もし経済的に通院や治療を悩んでる方がいた場合、本当に後で後悔しないか、今一度よく考えて上げて下さい。
私は万が一 何かあった場合、そこで悩むと思っていました。
でも、人生の支えを失う事を考えたら、悩むという工程が消えました。


どうか、一人でも多くの子が長生きしますように。
幸せに生きられますように。

 
すぐに会えるところじゃなくなっちゃったけど、
また私の事、良い子で待っててね。
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